祟り
様々な祟り
神々の祟り
天上の神々から見て、基準に合わない場合に、執行される。主に人に対して実行されるケースが多い。疫病がはやったり。人体の一部が突然不都合になったり。作物が急に駄目になったり。天候が異常になったり。落雷が発生したり。 同じパターンでの死者が何人も出たり。どちらにしても、神々の機嫌を損ねることが原因で起こるとされている。ニギハヤヒは祟る神として有名。
人霊の祟り
有名な所では、菅原道真や平将門、深い恨みを残して現世を去り、肉体の死後、その恨みのエネルギーで関係者に災いをなす。
動物の祟り
ねこの祟りなどが比較的恐れられている。ねこを殺すと7代呪われるなどと言われたりもする。
神木霊木の祟り
切り倒したりすると、関係者に不可解な死が訪れたりする。神木を切ったときに木から血が流れたこともあったようです。
水子の霊
よく水子の祟りといいます。人が祟りと思っている現象は無いとはいえません。それは祟りではなく、水子となっている者の演出なのです。実際、水子自体は、現世との接触が少ないので、現世に執着はほぼ有りませんし、実際はおろされる事、降りる事は自分自身解って宿ってきています。何の為にそんな事をするのかというと様々な意味が有ります。一つに、『母体となる者』の『魂や霊』に対する意識の目覚めの為の縁を作っています。
親としての慈しみの目覚めさせるという意味もあります。
日常生活で霊を意識するという方向性をつけています。
最後ににその親の身代わりです。水子に成る事を選んで宿る者達は、母体となる者のとても近い縁の者です。同じ因縁を共有している部分も大きいです。簡単にいうと、過去で同じ罪を作り同じ者達から恨まれているという事で、その恨みは、本来成長の為の必要な事なのですが、ほとんどの人は現世しか目に入らず魂を忘れ、自分中心に生きています。それに対して恨みが治まるはずは有りません。大きな恨みの霊団が動く時に、母体となる者の命が取られる可能性がでてきます。その時に同じ因縁を共有している者がお腹に宿り、おろされる事で身を八つ裂きにされます。それを持って恨みの霊団をなだめるという影の働きをしています。現世は魂の飛躍の重要な場ですから、その身代わりによって現世での成長の可能性を残したという事に成ります。
大方がこのような感じなのですが実際はこんなに単純では有りません。
水子霊を供養すると、現象が収まるケースがありますが、それは供養で治まったのではなく、供養という事を通じて、本質の世界である霊を意識するという方向性が進んだから現象が治まったという事なのです。ですから、そこが解れば、お墓を建てる必要も有りませんし、お札を購入する必要も有りません。具体的な意識の持ち方は、単なる文章上では誤解が生じる恐れが有りますし、誰しもがいたずらに知っていいという事でもありませんので、ここでは割愛します。意識の持ち方を知るという事は、霊界に対してとてつもない影響力を持ってしまうという事です。苦しんでいる霊はあなた方が知っているレベルでは有りません。例えとしてあなた方が想像できる最大限の量が点にすらならないくらいの規模で、もはや人の想像力では想像する事すら不可能な数の霊達に影響を与える事になります。苦しみを解く方法を知っているのに知識程度で終わらせるという事は、とても酷な事です。これを知るには少なからずとも実践する思いが必要です。
話はそれましたが、水子は恨まないと言っても、そういう現象が有るし霊能者にそういわれたという方はいらっしゃると思います。もちろんその霊能者のいう事は、間違ってはいません。ただしそれは、冒頭でも書いたように、水子自体が母体の者への育てとして演じているケースが多いです。あとは、母体の者が、水子になった者への現世的な感傷、例えば、お母さんに抱きしめられたかっただろうとか生きてゆきたかっただろうという、母体の者が持つ思いを窓口として、そういう思いを残した、子どもの霊達がたくさん頼ってくる事が出来、その思いを満たしてほしいと訴えてくるケースです。その際も、霊能者へは実際にその人の水子となった霊が、そういう迷った霊達の思いを肩代わりし、霊能者には、あたかも、その水子の苦しみという形で伝えたりもします。なぜかといえば、頼って来れるという事は、その頼られた人が意識を向ければ、多くの迷っている子ども霊達が満たされ救われる可能性があるからです。しかしこの際も、頼られた者の波長によっては、大きな不調に見舞われてしまいますが。波長については『波長』の項目をご覧ください。
祟りの気持ち
祟りには必ず、原因があります。お金をかけてその現象を無理矢理おさめたりしても根本解決にはなりません。今、現世で生きているあなた自身も、散々な目に遭わされれば、その人を恨みますよね(普通は)。 そして、された事が、ひどければひどいほど、恨みは強くなります。当たり前の話です。もしそれをあたえた相手が、気がつかずににやっていたとしても、ある時気がつき、誠心誠意償ってくれたときには、いずれ、その恨みも薄まり、やがて恨みも消えるでしょう。 そして恨みが消えたあとも誠意ある対応をし続けてくれた場合は、逆に恨みは感謝に変わり、その人への尊敬にも変わるかもしれません。ところが、これとは逆に、その恨む出来事をあたえた人間が、お金を払って、代理人を自分の変わりに謝らせました。 そして当の本人は高い金を払ったんだからこれでokと思い込んでます。こういう態度にあなたは納得がいくでしょうか?代理を使ってでも、謝るならまだ、ましかもしれません。金を払って、力で、あなたの事を追い出し遠ざけようとした場合は? その場からあなたは立ち去ったとしても、さらに恨みが増しませんか?祟りという現象は、身に覚えがなくとも必ずあなた自身に原因があります。 もし身に覚えがなくとも、その原因はなんだったんだろうと、なんとしても償いたいという想いが本物であれば、原因が分からなくとも、その想いで祟りを起こしている者もある程度は納得します。一番やっては行けない事は、除霊したり、おはらいをしたりという事です。 あなたもいつかは霊界へ帰ります。その時にその事を大きく後悔する事になります。祟られる事祟る事互いにこの事でゆっくりですが成長してゆくのです。祟られる恐怖だけではなく、祟る側の身になって考えてこそ、魂の成長と言えます。