地獄霊


地獄霊の種類


地獄霊とは

 正直こういう区分けはナンセンスなんです。地獄霊であろうが天上の神々であろうが、六道の中にいる以上は、迷いの中に有るという意味では全て地獄ですから、六道内の全てが地獄霊とも言えますが、あえて二つに分けてみました。

地獄で苦しむ霊

 凄まじい苦しみの中にいます。時々地獄霊に憑依され、熱い熱いと言って体中かきむしったり、絶叫し続けたりという光景を見ますが、実はこの状態は、守護霊、指導霊などが力を抑えて見せているか、 指導霊自身が演じて見せています。はっきり言って、地獄霊そのものの苦しみのエネルギーを人に移したら憑依された人は即死します。しかし、そういう霊がいる事を知って更なる飛躍を目指している場合はそういう場面が用意されます。 その為に守護霊も指導霊も尽力します。

恨みに固まった霊

 これはズバリ、その人自身を恨んでいます。霊媒者に入って恨みをぶちまけたり、その本人に入って苦しめます。しかしこれも全て守護霊達に制御されています。守護霊達の力を甘く見てはいけません。蟻一匹通れないくらいは当然で、ほんの一瞬の隙もない、守りをしています。そして守りというのは私達の都合の良い守りでは有りません。魂が成長する為の守りです。守護霊の力は天上の神々など比較にならないほど大きいです。詳しくは、守護霊の項目をご覧ください。

なぜ恨みが有るのか?

魂は、この物質世界と霊的世界を成長の為に行き来します。どういう成長かというと、より、根本の親に近い存在になる為の磨きです。より輝く為とも言い換えれますが、この際の輝きは能力の輝きではなく、慈しみの大きさなんです。自分だけが輝けばよい光ではないんですね。この輝きを大きくする為に、様々な悪も魂がプロデュースして経験させます。恨みを作ってしまう事も恨む事も、それぞれに成長になります。さんざん恨むから、さんざん恨むというのは、現世のレベルでは無いんです。でも現世でも恨みすぎると実際疲れたりもしますがね、しかし魂レベルはそんなくらいじゃじゃ有りません。まずこの恨むという経験を何世も、繰り返しますし。霊的な存在でいる時も、何百年も何千年も何万年でも、霊界で恨み続けます。霊界は思いの世界で波長の世界ですから、凄まじいエネルギーで恨み続けます。そして実は、この『恨みの波長の世界』の中にも指導霊は、同じようにまぎれて、その恨みの霊がそこから成長する願い(エネルギー)を一時も離れず、ずっとあたえ続けています。そのおかげで、ある時、気がつき始めます。こんなに恨むだけでは何か違うのではないかと、その時に一気に飛躍します。すると、自分が恨みの苦しみの中にいた時に同じくずっとあきらめもせず願い続けてくれていた多くの存在がいた事に気がつきます。すると魂は、それらの存在に大きく憧れ自分もそうなりたいと目指すようになります。これが魂の成長の一例です。恨み続けたおかげで、逆の許せる器もしくは暖かい大きな器に大きく感動し、そして『あたえる存在』へと大きく憧れるようになれるのです。バネは強ければ強いほど飛躍します。同じですね。そして霊界ではあこがれは力の元になります。そうなってゆきたいという大きな方向性や向上力が生まれ。さらには、憧れる存在と波長が近くなり、そこからのエネルギーを受けやすくなります。何事も対極で磨きが成り立ちます。寒い所を経験するから暖かさの嬉しさが解り。飢え苦しむから食べれる事の喜びを知ります。人間の都合中心ではなく、魂の大きな計画の中に様々な因縁が起こされているという事です。ですから、目の前に現れてくる事は全て、自分が良しとして選んだ事で、それを起こす為に。指導霊や守護霊は大きな力を使っています。そしてなにより自分の魂や、根本の親が、その自分であたえた苦難を、喜び感謝に変え、大きな輝きや、エネルギーを獲得できる器になる事を、尋常じゃない力で願って、その無地から設定した、『試しや磨き』を超えれる力をあたえ続けてくれています。ですから、不都合な時ほど、その影の働きや願いに感謝し感動できるようになると、もやは不幸という現象は感動とともに無くなります。そして今まで知らなかった大きなエネルギーと感動の中生きる事になります。不幸をただ逆恨みするだけでは、自分を小さくし受けれるはずの力も自ら閉ざし、ただ目の前の現象に右往左往し一喜一憂するだけの事に終わります。もちろん多少の経験値は上がりますが、それはあくまでも現世の経験値であり魂の成長には直接はつながる事ではないのです。ですから結局違う種類の不幸がくるとまた苦しみを繰り返します。それを四苦八苦とも言います。

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