悪霊
悪霊
一般的には、害をなす霊という事でしょうか。これはあくまでも、現世の人間の身勝手な基準であって、実はどのように悪さをしてこようとも、それには相当の意味が有り、その現象や出来事を通じての、互いの成長が願われている訳なんです。自分に都合が悪いから悪!人に危害を加えるから悪!という単純な基準もそれはそれで一つの基準で成長の一方向ではあるのですが、悪を起こす裏の事情、なぜ悪になっているのか、そしてこの現象に触れている者達(悪霊も含めて)全ての成長を、切なく狂おしいくらいに、願い続けてくれている多くの、目に見えない存在が有る事、その事への感動が出来ていく時には、大きなエネルギーが流れ出し、もはや、悪霊も高まり自分も大きく高まるという、超プラスの循環が産み出されるのです。ところが互いに悪だと避けて、そして避けられた方も余計怒り恨みというマイナスの循環では、慈しみの大きなエネルギーのながれる波長はもはやそこには無く、大きな負の循環が出来上がるのです。悪霊と思える者も実は、自分と共存し魂の磨きをプロデュースした存在であり、もっと確信を言えば、それすべてが自分自身で一体なんです。善を主張し悪を避ける事も幼いうちはよいですが、悪そのものも慈しむ対象としての親としての目線意識を持っていく事は魂の成長としては望まれる所です。当然この現世の波長の中それを進めてゆくという事は、肉体を持った私達には不都合な現象が多々現れてくる事にもなります。しかし親は、手がかかる子ほど可愛いという事も有る訳です。子の為に苦労する事そのものが親のやりがいでもあり、親の器を大きくする事でもあるわけです。そしてそんな親は、子の為の苦労は苦労とは思わないものです。そして子の輝く姿を見る事が何よりの感動でもある訳です。